Q1. 朝一番の「体育遊び」には、どんな意味があるのですか?
A.
総合幼児教育研究会(略称=“総幼研”)に加盟のどの幼稚園でも、基本的に毎日欠かさず実施されているのが『体育遊び』(=体育ローテーション)です。いろいろな器具を配列して、さまざまな運動を体験しながら列をなして回るという活動です。これは幼児の為には、大変重要な意味をもっております。
体育遊びは…
- どの子もみな、共通してもっている「運動本能」を充足する。
- なおかつ集団生活を通して「仲間との連帯感」を楽しみながら群れ遊びの基礎的なルールを体験する。
- それによって、一人ひとりの運動感覚の発達を引き出すという、極めて多義的な目的をもつ有効な教育活動です。その為活動の内容もある種の技量に偏ることなく、全身の運動機能が円満に発達するように計画されています。 体育遊びは、あくまで「遊び」です。決して強制されるものではございません。 毎日の繰り返しの積み重ねで、子ども達は喜んで参加してくれるようになります。体育遊びは、本当の「自由遊び」を楽しむことができる資質が育つ人間形成への基礎活動です。
Q2. うちの子はもともと体育嫌いなのですが、毎朝の「体育遊び」に
なじまないのでは?
A.
育ち盛りの子ども達は、自らの育ちの為に「動く」ということを必要として、求め続けています。 もちろん「自由遊び」も充分大切な「動き」です。しかし、ここで忘れてはならないことは、「秩序なき自由」は、「放任」と変わりないということです。
腕っぷしのいい子が、わがもの顔に振る舞いますと、けんかや粗暴が始まります。
おとなしい子は恐れをなして、群れ遊びに興ずることができません。群れ遊びにもそれなりのルール (秩序)がなければなりません。第一、そのような時間と室内が与えられましたならば、喜んで仲間との遊びに熱中できるだけの「資質」が育っていないことには、本当の「自由遊び」に活かされません。
朝 の体育ローテーションは、どの子もみんな共通してもっている「運動本能」を充足し、かつ、「集団行動」を通して「仲間との連帯感」を楽しみながら、「群れ遊び」の基礎的なルールを体験し、もっと、一人ひとりの運動感覚の発達を引き出すという極めて多義的な目的をもつ有効な教育活動です。
そこで先ず、お子様の体育嫌いについての御質問についてですが、幼児は胎生的に動くことが大好 きです。「幼児は歩く歩数に比例して育つ」からです。「歩くこと」をしっかり体験してこそ、脳の運動感覚回路を刺激し、活性化することができます。「体育嫌いの子」が「自由遊び」を喜ぶとは思えません。体育ローテーション=“遊び”です。決して子ども達に強制するものでもございません。
毎日の繰り返しの積み重ねで、子ども達は、みんな喜んで参加してくれるようになります。
体育ローテーションは、本当に「自由遊び」が楽しめる資質が育つ為の人間形成の基礎活動なのです。
Q3. 幼児期には、もっと自由な遊びの体験が必要なのでは?
A.
私達は、遊びとは、「子ども達が主体的・意欲的に興味や関心を持ち、身体の機能を働かせて、周囲の環境や文化に関わり、活動を創造し展開する働き」であると考えます。
一般に、幼児にとって「遊び」が大切だとされるわけは、遊びによって子ども自身が自己発現の喜びを体感し、自らの行動をより良き方向へ自発的に変えていくという、成長・発達が保障されるという教育的意義があるからです。ならば、「遊び」の設定において「自由に…」とか、「戸外で…」というような限定や限界があってはなりません。私達には、「幼い子ども達は、自由伸び伸びでなければ自発的に喜んで行動しないのではないか。」というような甘美な感傷的幼児感が、幼児の「遊びの真 価」を見誤らせていると思われてならないのです。
「幼児の遊び」にとって重要なことは、決して「自由奔放で野放図」であることではございません。 むしろ、子ども達の「主体的関わり」ということに力点を置けば、「言語・運動・音楽」等のあらゆる教育活動、ないし、「生活習慣」の指導に至るまで、全てが「遊び」の喜びに転じていきます。そ の意味で、「総合的幼児教育」の組み立ての骨子にあたる全ての要素が「遊び」であると考えております。
Q4. 最近、世間では早期教育への批判の声が多く聞かれますが…
A.
確かに、最近、「知的教育」が一般的に偏った形で取り上げられることが多くなってきているのは悲しい事実です。
例えば、文字のとりあげ方にしても、日常の生活体験とは遊離したような形で、文字を教えたりする。そういう形での知的活動への間違った取り組みをしますと、結局、子どもたちへの無理な「おしつけ教育」に陥ってしまいますし、「知識の詰め込み」になってしまいます。
今や世の幼稚園界では、知的な活動の重要性は認めながらも、偏った意味での知的教育をおさえる方にかかっています。
やはり幼児教育は、「知・情・体、三位一体」の「総合教育」でないとだめなのです。
私達の幼稚園では、子ども達が将来、大きく伸びてゆくための「根っこづくり」を大切にしていま す。
Q5. 園では、プリント教材を使って指導されていると聞きました。
プリント教材というのは、どのような意味があるのでしょうか?
A.
まずわが園のプリント教材は、幼児の発達段階に見合った内容を検討し、編集されたオリジナルの 教材であるということをご承知おき下さい。ですから、子どもの能力をテストするというような意図 は全くないどころか、幼児にとっては、彼らの「知的好奇心」を充たしてくれる大好きな「遊び」なのです。
わが園では、日頃「日課の活動」等を通して、たくさんの「感覚刺激」を受けながら、脳神経の「感覚回路の強化、活性化」につなげていくという独自の教育方法をとっていますが、ここで獲得した「基礎能力」は、彼らの知的好奇心をいやがうえにも高めていきます。いわゆる「学習意欲」です。
例えば「日課の遊び」の「フラッシュカード」等で言葉や文字について、興味、関心が高まり、 「言語や文字に対する感覚」が養われてきますと、文字言語活動、つまり文字の読み、書きにも新鮮 な学習意欲をもつようになります。
今までの経験では、漠然と読めていた文字を、「その文字を使って遊ぶ」という、「高いレベルの遊び」の経験を通じて、一人ひとりの幼児が正確に「自分の知識」として活用することができるという「感動」を覚えます。フラッシュ・カード等を使ったカード遊びやプリント教材がそれにあたります。
私達は「日課の活動が、脳回線の機能化を目的とする」のに対して、「プリント遊び等のような課題に取り組む活動のねらいを、脳回線の実用化」といっております。
もちろん、「発達段階を踏まえての遊び」の内容になっていますから、少し努力すれば、どの子にもできる、つまり満点マルがもらえるという「達成感」が楽しめます。
「少しの努力」の中で、「思考力や想像力、推理力、表現力などを高めるねらい」もございます。
決してプリントで何かを指導しようという教師の構えからの発想ではなくて「お腹が空いたからご飯を食べる」のと、同じ様な感覚で、「プリント教材は彼らの学習意欲が求める頭の栄養」なのです。 そうです、ねらいは彼らの「学習意欲の高揚」です。
“学ぶ楽しさの体験”です。“目と手の協応作業”です。いよいよ頭の回転のよい子に育ってくれることでしょう。
又教師の側からすれば、一人ひとりの幼児の発達、興味や関心を確かめることができる絶好のコミュニケーションの機会でもあるわけです。 プリント教材のもつ意味は、大変奥深いことが、お分かり頂けたでしょうか。
Q6. 総幼研加盟の幼稚園とそうでない幼稚園の違いはどこにありますか?
A.
総幼研の特徴として第一に言えることは、子どもの「やる気」と「集中力」を育てるために決して 強制しないということです。「体育遊び」は、もちろんのこと「ことば遊び」にしても「音楽」「絵 画」すべて子ども達の興味や能力を“引き出す”ことを大切にしております。子どもの「やる気」や 「集中力」を引き出す為の大人の側からの無理な押し付けは無用です。むしろ「やる気」や「集中力」 を“引き出す”為に幼稚園は、色々な工夫をし、子ども達が「もっとやってみたい」という真の子どもの要求を叶える為のカリキュラムを計画しております。
毎日「体育遊び」を実施して、保護者からこのような声を聞きました。“毎日TVゲームばかりしていて、外で遊ぶのが苦手な子どもだったのに、最近手を見ると豆ができていたのでびっくりしました。 鉄棒やわたり棒で毎日遊んでいるんですね。”
親が無理やりひっぱって外で遊ぶように促すより、幼稚園で毎日楽しんで自分から進んで「体育遊 び」をしてくれるのは、なによりの喜びです。
Q7. 子育ては“しつけ”が基本といわれますが、生活習慣の“しつけ”について、
親としての心得を教えて下さい。
A.
生活習慣の“しつけ”については、親の日常の生活様式や生活態度が、まず問題です。
幼児には、理屈は通じなくとも心情は伝わります。親の真摯な生きざまが知らず知らず子に伝播し親 の切実な願いや祈りは必ず子に伝わるのです。「親こそ最良の教師」といわれるゆえんです。
だからといって、無理してかしこまることはございません。無理は道理にかなわず、不自然です。 自然体、つまり無意識的日常生活の全てが、子育ての教育環境となるのです。
子どもが幼い頃は、「親との接触時間の長さに比例して育つ」といいますが、時間の長さもさるこ とながら、その質の高さ・密度の濃さが大切だと思います。
又、しつけには目標が必要です。目標は親が決めます。決めた目標に向けては、親子ともに継続していかねばなりません。日々の実績を確かめながら、共に喜び合いましょう。そして習慣が定着すれ ば、それを基盤にして、さらに高い目標を決めます。
このような繰り返しを続ける中で、親子ともに育っていくことが「母子共育」なのです。
犬の子は、誰に育てられても犬ですが、人間の子は、狼に育てられたら狼になってしまします。このことは、大きな問題を示唆しています。
それは、人間が人間に育つためには、生まれてからの「人間」環境が必要だということです。 適時に、良質の生活環境が与えられればよい結果を生みますし、そうでなければ逆の結果をもたらし ます。発達段階を踏まえた適切な脳への刺激があれば、脳は周りの環境を受容するために必要な配線を強化し、発達します。逆に、この時期に育ちの環境が希薄だと、脳の配線の機能が衰え、人間形成 の基盤が軟弱になります。
このように、人間としてよりよく生きるために必要な「望ましい生活行動形式」は、日常の生活体 験から無意識に、ごく自然に感覚吸収されて、人格化されます。このことを「生活習慣のしつけ」といいます。
この生活習慣とは文字通り、生活を通して習い慣れることです。「習う」とは、まねる、繰り返し行う、熟練するという意味であり、「慣れる」とは、珍しくなくなる、ほどよくなる、上達するという意味がございます。
継続は力なり。子育てはすべからく、まずまねて、繰り返し継続して行うことが肝要です。これは また幼児教育=人間形成の第一課題でもあります。
この原理は、いわゆる幼児の“学習”についても、全く同じです。目的は人間形成そのものであって、 早くに文字や数を教え込む、いわゆる「早期教育」とは全く次元が異なる営みだと知らねばなりません。
子育ての基本は、いわゆる学習活動(課題活動・表現活動)も含め、「しつけの原理」すなわち、“くりかえし”と“母子合体”の原理にございます。
母子の信頼関係がしっかり定着していれば、子どもは自然の理として、子ども集団を求めるように育ちます。ただし、まだまだ母子合体は崩せません。親の支えを頼りにしながら、徐々に自立してい くのです。
Q8. 幼児のころの家庭教育のことをやかましくいわれますが、そもそも
家庭教育の基本とはなんでしょうか。子どもと家庭について、ご指導
下さい。
A.
まず家のことを、あえて家庭というのはどういうことでしょうか。家という物体に家族が住居ると家庭ができる、家庭とは家族が共同生活を営む所、あえて庭というのは、家族のみんながお互いに強調和合しながら、共に育つという相を表象した言葉だと思います。
そうです。庭づくりには、やはり庭づくりのルールがあります。名園といわれる古い庭園には、いわずもがなその庭を造った人の思想なり、哲学があって、見る人の目を釘づけにします。 そのねらいは、なんといっても調和の美でありましょう。1本の木、1個の石が、庭全体の中で、欠くことのできない重要な役割を果たしているからです。
「家庭」もまた、家族の構成員の一人ひとりが、自分の立場を守り、責任を果たし、かつ他の家族と強調しながら、家庭の平安と繁栄を保っていかなければなりません。
ここにおいては、誰が中心ということはありません。それぞれが自分の立場を自覚しながらも、他の家族の立場や役割についても深くこれを理解して、敬意と信頼をもって接していくことが要です。
実はこの様な調和のある家庭生活そのものが、特に幼児にとってはかけがえのない教育環境である わけです。特に何かを構えて教えるということではなくて、日々の“豊かな生活体験”を通して、“子は親の背中を見ながら”、時々刻々きわめて自然に、豊かな人間性を確立していくのです。いわば、家庭の雰囲気すなわち家風そのものが、幼児の育ちを支える根っこの土壌となるわけです。
ここでいちばん陥りやすい過ちが、「子ども中心」という過保護の家庭です。「過ぎたるはなお及ばざるがごとし(論語)」です。子どもの教育に熱心なあまりに、ついつい直接に手をかけ、口をかけ、またその見返りをせっかちに期待するという、過干渉、過期待の弊害です。こうなると、子どもの育ちの根となるべき主体性が育たないばかりか、精神的には非常に幼稚なままに横暴に振る舞う、いわゆる「子ども天国」の根無し浮き草にしてしまいます。
だからといって放任がよいというのではございません。家族の一員としての子どもの立場は充分に尊重しながらも、自分の役目、自らなすべきことを知らない幼児だからこそ、その指標はしっかり示しながらも、自ら努力して、その成し遂げの喜びが体感できるまでに、強く、大きく支えていただかねばなりません。
「すべからく口に依らしむべからず、目に依らしむべし」子どもは、親のいうことは聞かないが、親のする通り真似をします。
家庭教育の基本とは「子育ては親育ち」、やはり“母子共育”でなければならないということでありましょう。
Q9. 「保育見学会(=オープンキャンパス)…
通常の保育を見学させて頂きとても驚きました。うちの子も本当に
あのような活動についていけるのでしょうか?
A.
毎年、“日常保育見学会”でささやかれる質問です。2~3歳の子どもは3分間とじっとしていられま せん。天使幼稚園へ入園した頃は、きちんと立てない、座れない、言われたことがわからない、etc といった子ども達が“総幼研メソッド”を受けると、自分で気づき、何か指示されても機敏に動き、きちんと行動することが、自然に出来るようになります。つまり集中力が身について参ります。集中力が育つ子どもは、将来、“ここぞという時”自分のもつ無限の可能性を伸ばすことができます。
ここで「子どもの集中力を育てる」(斎藤 孝著 文藝春秋出版)を紹介させて頂きます。
先頃ベストセラーになった「声に出して読みたい日本語」の著者でもある斎藤孝先生(明治大学教 授)が、総幼研の本部園でもある「パドマ幼稚園」を実際に参観され、“総幼研教育”について詳しく書いておられます。
総幼研教育が目指すところは
知識の習得という、底の浅いものでなく、身に技を染み込ませる、ということにあるすばらしさに大変感銘を受けられた、と書いておられます。
子どもが、総幼研教育についていけるかどうかと不安になるより大切なことは、総幼研の幼稚園が、子どもの脳を活性化させる場であることが明らかだとも言われております。
現代ほど子どもを育てる環境としては、とても難しい、厳しい時代は無いかも知れません。そういう時代だからこそ、“総幼研教育”が今注目されていると言えるでしょう。